8月中旬のお産のお話。
Jさんは6月にアメリカから沖縄に転勤してきた妊婦さん。2人目を自宅出産しており、今回も自宅出産をしたいとゆいクリニックに問い合わせてきていた。今回もゆいからの委託で担当することになった。
Jさんと直接お会いできたのは、Jさんが妊娠33週の時。通常は、妊娠初期から会って、その方の性格や嗜好を知っていき、どんなお産をしたいのか、どんなサポートが必要なのかを健診を重ねながら計画を立てていく。でも今回は妊娠中に転勤してきたということがあり、妊娠の後半で初めてお会いすることになった。初回の健診では、おうちもまだ決まっていなくてホテルに宿泊していると。おうちへの引っ越し、お産の準備、やることは山積みでとても忙しい様子。その後、なんとかおうちも決まって、少しずつ自宅出産に向けての準備が進んでいった。
自宅出産は37週0日~41週6日以内の期間で可能だが、今回はまだ関係性が不十分だと思ったので、38週から自宅出産を受け入れることをJさんに伝えた。それまでに希望の水中出産に向けての準備、物品の準備、サポート助産師の手配をしていった。
そして39週4日、真夜中に陣痛がはじまったと連絡を受けた。前回のお産が早かったこともあり、すぐにサポート助産師も呼び、自宅へと向かう。パパはすでにプールにお湯をはりはじめている。そして、Jさんプールの中へ。まだいきみたい感覚はきていないと。陣痛も4分間隔毎くらい。まだすぐという感じではない。「ふーっ」と少し声がでることもあるが、まだ冷静さが残る。プールからでて、パパに支えてもらいながら廊下を歩きまわってみる。マットレスに座ったり四つん這いになってみたり、トイレに行ってみたりもする。私たちスタッフがそばにいると本能的になれない感じ。しばらくパパと二人きりにしてみる。リビングでみんなでお茶しながら待つ。時折、大きい「うーっ」という声が聞こえてくるとみにいってみる。ベッドに横になって少し眠ろうとしていて、こちらも仮眠をとる。
日が昇り、外が明るくなってきた。朝7時すぎ。声が大きく出始め陣痛が強くなってきた。再度プールへ。1歳半の次男君も起きてきて、ママと一緒にプールの中へ。どんどん強くなってきた。そして「破水したかも」水の色は変化なく、破水したか分かりづらいが、おしるしのような粘調な分泌物は少しでている。そしてJさん「この子をプールからだして」と、パパが次男君を抱き上げてプールの外へ。そして「うーっ」といきんで赤ちゃんの頭がみえてきた、次の陣痛で身体がでてきてJさんの胸元にサポートしながら抱き上げてもらい出産となった。
赤ちゃんが呼吸しはじめるのを見守る。パパは次男君を抱っこしたままJさんにキス。Jさんはうれし泣きのような達成感のような美しい涙を流している。赤ちゃんははじめこそ少し泣いたけど、ママに抱かれながらおだやかな様子。
そして、みんなで抱きかかえながらプールからでてもらい、お産用のシーツの上に横になってもらう。胎盤がでてくるのを待つ。Jさんにおなかに痛みがでてきたらいきんでみてーと声をかけ、胎盤がでてくるのをキャッチした。出血も少なく、無事にお産は終了した。
ほどなくして赤ちゃんはママのおっぱいを吸い始めた。次男君がまだ授乳していたこともあり、授乳も慣れた様子であげている。授乳するとJさんは顔をしかめ、おなかの痛みをぐっと我慢している。(これを後陣痛という)経産婦さんのほうが痛みが強くあるといわれているが、Jさんもかなり痛そうな表情。子宮が元のサイズに戻ろうと収縮していて、出血も減らすので良いことなのだが、本人にとってはやっぱり痛い。この後陣痛は数日続いたとのことだった。
今回のお産は、Jさんとの出会いが妊娠後半ではあったが、Jさんも赤ちゃんもとても順調な経過で本当によかった。準備はしていてもやっぱり最後まで気が抜けない。サポート助産師の手配にもはじめ苦戦した。初めて自宅出産をサポートするという助産師もいた。でもみんな、その時できることをしっかりとしてくれて、とても安心だった。研修という形で入ってくれた看護師さんもいて、みんなで協力してサポートできたことがチームワークとして素晴らしかったと思う。
そして今回が最後の自宅出産サポートの予定だと話していた助産院むすびやの文恵さんもいてくれた。ありがたすぎた。文恵さんが沖縄で自宅出産サポートをする助産師として率先して活動していたから、沖縄で自宅出産というお産の形が残っていると思う。それを今後も絶やしたくはない。お産の方法は本人が選びたいもの。選べる選択肢を残したい。したいお産ができるように、その方にとって大満足なお産となるように、これからも寄り添いサポートしたいと強く思う。